定年退職後、NECで培ったリーダーシップの経験を活かし、独立に挑戦

若い頃からがむしゃらに働き、経験や知識が豊富なシニア世代。しかし、「独立に興味はあるものの、なかなか一歩が踏み出せない」と感じる方も多いのではないでしょうか。

今回は、株式会社リーダーズクリエイティブラボ代表取締役CEOの五十嵐 剛さんにお話を伺いました。

五十嵐さんは、NECでの輝かしい実績と独自のマネジメントスタイルを活かして退職後に独立。独立と同時に出版した著書はベストセラーとなり、講演依頼も後を絶ちません。現在は多方面で活躍し、日本のリーダー育成支援に貢献しています。

「独立するなら早い方がいい。自分を信じて」とシニア世代にエールを送る五十嵐さん。セカンドキャリアにおける理想の働き方を実現するポイントを伺いました。

五十嵐 剛 

長野県東御市出身。大学卒業後、長野市のNECグループ会社に入社。NEC本社で年間売上600億円の大規模システムプロジェクトをリードし、社長賞を受賞。39歳で部長に昇進し、2007年には公共機関向けシステムを担当、小泉総理にプレゼンを行う。2009年に再度社長賞を受賞。独自のマネジメントスタイルで業績をV字回復させ、NECでの変革活動に貢献し、2016年に4回目の社長賞を受賞。2023年退職後、リーダー育成支援に注力し、2024年に『結果を出すチームのリーダーがやっていること NECで学んだ高効率プロジェクトマネジメント』を出版。株式会社リーダーズクリエイティブラボ 代表取締役CEO いきいきチーム創り仕掛け人国際コーチ連盟IFC 認定 ・システムコーチングプロ(ORSC)/上級心理カウンセラー/PMP( Project Management Professional)/ 情報処理学会認定情報技術者/ITコーディネーター

リーダーが変われば組織も変わる。NECで身につけた「新時代のリーダーシップ」

ー大学卒業後、地元長野市にあるNECグループ会社に就職し、システムエンジニアとしてのキャリアをスタートされています。当時の就職活動の軸や将来描きたいキャリアはどのようなものでしたか?

私が就職したのはちょうどパソコン(パーソナルコンピューター)が出始めた時期でした。「これからはコンピューターの時代だ。コンピューターに使われるのではなく、使いこなす人間になりたい」と考え、システムエンジニアをめざしたのです。

また東京勤務も考えていたのですが、兄との間では、「どちらかが地元長野に残って親の面倒を見る」という暗黙の了解がありました。

優秀な兄は東京の大学を出て働くことが決まっていたので、私が長野に残ることにしました。

ちょうどその頃、長野日本電気ソフトウェア(NEC)が設立されると知りました。NECは当時、日本独自の技術を持つ企業として知られており、その長野支社1期生として活躍し、将来的には社長を目指したいと考え、第一志望に選びました。

ー入社後はさまざまな場面で活躍されています。働く際にはどのようなことを意識していましたか?

今の時代にはそぐわない考え方かもしれませんが、人生の中で仕事を最優先に考えていました。会社内で成果を上げて昇進していく姿に憧れていたのです。

入社後2年間は、東京での業務経験。その後いったん長野に戻ると、「再度東京に行って欲しい」と話がありました。地元で就職した人であれば普通は嫌がられることですが、私は快く応じました。

ちょうど東京に異動した頃に、後任が不在で困っているプロジェクトがありました。長野での仕事ぶりを評価されてか、当時経験が浅かったにもかかわらず、プロジェクトリーダーとして抜擢されることになったのです。

大変なプロジェクトでしたが、やり遂げたことで評価が高まり、さらに大きな仕事を任せてもらえるようになりました。

振り返ってみると、私は若い頃から仕事での苦労を厭わなかった。何にでも前向きに取り組んだことが、周囲からの信頼につながったのだと思います。

ーなぜそこまで仕事に夢中になることができたのでしょうか。

両親から大きな影響を受けていると思います。父も母も、仕事を一番に考える人でした。両親は元々専業農家だったのですが、時代の流れと共に農業とサラリーマンを両立するようになりました。昼は会社員として働き、夕方から夜遅くまで農業をしていました。ひたむきに働く姿を見て育ったことで、自然と「仕事一筋」の意識が根付いたのかもしれません。

私は長野で働くと決めたにもかかわらず、結局東京に行くことになりました。それでも両親は、「東京で力を発揮できるなら頑張ってきなさい」と背中を押してくれました。そのおかげで頑張れたのだと思います。

ー東京に異動後は主にどのような業務をされていましたか?

主に中央官庁の事業を担当していました。当然ですが、東京と長野では仕事の規模が全く違いました。その中で一番大変だったのは、東日本と西日本の大型コンピューターセンター間で業務を相互にバックアップするシステムを任された頃です。

そもそもこのプロジェクトは、7年かけた大規模なもの。年間売上は600億円にのぼります。私はあと3年でサービスインというタイミングで参画しました。

そして、サービスイン間近の頃、1月4日に予定されていたのですが、年末年始にテストを行ってもシステムがうまく動かなかったのです。なんとか間に合わせるために徹夜作業が続き、奇跡的にシステムを完成させ、なんとかやり遂げました。大変なプロジェクトをなんとか軌道に乗せたということもあり、この時初めて社長賞を受賞しました。

ー先述のような刺激的な出来事がたくさんあったことと思いますが、会社員生活の中で印象的だったのはどのようなことでしょうか。

50代に入ってから、自分のリーダーシップについて大きく考え直す出来事がありました。ある大規模なプロジェクトに関わっていた頃、プロジェクトが完了する最後の場面で致命的な作業ミスが発生してしまったのです。

それまで私は、徹底したトップダウンでガバナンスを強化し、メンバーに手順書やチェックリストを厳守させていましたが、それでも重大な問題が起きてしまいました。発生した問題については、幸いなことに、業務への影響を最小限に食い止めることが出来ましたが、メンバーは既にもう疲弊しきっており、プロジェクトも私も限界でした。

藁にもすがる思いで、構築や運用に見識がある役員を訪ねました。この事態に対して叱責されることを覚悟していたのですが、彼は「現場のメンバーも一生懸命やっている。わざとミスするメンバーはいないよね」と。そして、「現場の声をしっかり聞かなきゃいけないよ」と私や現場への理解を示していただいたのです。

業務への影響は最小限に抑えたとは言え、会社の信用にもつながる大問題を起こした状況であるにも関わらず、叱責するどころか、現場を理解し労い、ここまで現場に寄り添っていただけるのかと心を打たれ、涙が止まりませんでした。この人のために頑張ると決めました。

ーその経験で、五十嵐さんのリーダー観はどう変わりましたか。

役員からの言葉を受けて、トップダウンから、現場の声を尊重するボトムアップのリーダーシップへと転換しました。

まず、メンバーには「思うことを何でも言ってほしい」と伝えました。トップダウンのスタイルから急激に態度を変えたので、最初は怪しまれましたが、徐々にメンバーからの意見が集まるようになりました。

メンバーからの意見を吸い上げては現場に反映していくと、プロジェクトが見違えるほど改善しました。「このチームならどんな困難も乗り越えられる」と自信になりました。

この経験を受けて、私のマネジメントスタイルも変わり、またその経験を組織内で展開するべく、社内での啓蒙活動も始めました。

ー社内での啓蒙活動はどのような形で進めたのですか。

社長賞を受賞していたこともあり、まずは、トップの理解を頂かなければと、社長や常務、執行役員クラスへ、ボトムアップ型のマネジメントの重要性について説いて回りました。

そして、役員の賛同を頂いた上で、本社にいる約140名の事業部長全員とひとり一人と会って、理解していただき、事業部長が主導する形で、事業部全体にボトムアップ型リーダーシップを導入しました。

リーダーの変化が部下にも良い影響を与え、全体のパフォーマンスが向上する。このことをまずは実感してもらおうと考えたのです。

加えて「現場革新推進室」が新設され、私が初代室長となり、現場革新推進室のメンバーの協力の元、役員をはじめ、事業部長140名全員へのアプローチを継続し、さらに各グループ会社の社長、役員にも直接働きかけ、ボトムアップの意識を広げていったのです。

もちろん一部には「部下の声を聞いて本当にうまくいくのか」と疑問を持つ人もいました。しかし、実際に成果を上げる部署が出始め、少しずつ社内に広がっていったのです。

会社のルールに縛られない生き方を求めて挑んだ、「独立」という決断

ー定年退職後は組織改革のご経験を活かして独立されています。独立を決めた理由は何ですか?

NECの役職定年制度により、56歳で専任エキスパートとなり、部下を持てない立場になりました。正直、それまでのやりがいや、社内での存在価値が薄れることに虚しさを感じたものの、「定年までは勤め上げたい」という美学を持っていました。

子供もまだ学生で教育費がかかる時期でしたから、とにかく頑張ろうと思っていたのです。

ところがその1年後、役職定年が廃止になり、再度格付けをされることとなりました。私はありがたいことに部長に復帰。任された仕事はきわめて重要なものでしたが、それでも成功を収めました。

しかし、会社が決めたルールのもとで一喜一憂する状況に違和感を抱き、サラリーマン生活に疑問を持つようになったのです。人生100年時代に「自分の力で道を切り拓きたい」という思いから、独立を決めました。

ー独立前には、不安や葛藤などはありましたか。

不安はもちろんありましたよ。安定収入が無くなるのは大きかったですね。「無一文になって路頭に迷うのでは」と心配でした。

まず、独立したい旨を家族に説明し、後ろ盾になってもらいたいと考えました。そこで、家族のグループLINEに自分の思いを書いて送りました。子どもたちには「もしかしたら無一文になるかもしれない」と伝え、妻にも「迷惑かけちゃうかもしれないけど、頼むね」と。

また自分自身に対しても、Wordファイルに「あなたならできるはず」などの文章を書き、音声読み上げ機能で毎朝聴きました。不思議なもので、人の声で読み上げられると励まされ、「やるっきゃない」と思えるのです。

考え方も大切です。私は、還暦を「第二の成人式」と位置づけました。20歳の自分より、今の方が経験や実績、資金もあります。「成功できないわけがない」と自分に言い聞かせ、再スタートにつなげました。

自分が描く未来像に近い方にはお話を聞きに行きました。成功しても失敗しても、結局は自分の実力次第。どんな結果でも後悔はないと思えたから、独立できたのでしょうね。

ー独立後に向けて、定年退職前にはどのような準備をされましたか?

独立後の事業はコンサルティングやコーチング、講演活動を視野に入れていたので、必要な資格取得に取り組み、そのほか、NECが提供している定年退職者向けのプログラムを受けました。定年後のキャリアについて専門家とオンラインで相談し、アドバイスを受けられるものです。

そして、独立後に向けて最も力を入れていたのは本の出版です。

独立と同時にベストセラー!多くの反響が次の扉を開いた

ー出版の経緯について教えてください。

まず、自著は私の考えや価値観を伝える名刺代わりになるだろうと考えました。そこで、3ヶ月間の出版セミナーに通い、出版するにあたってオーディションがあるのですが、なんと無事通過したのです。

執筆自体は順調でしたが、伝えたい内容が多すぎて出版社からは「半分に削るように」と言われたので、重要な部分を削っていないかと悩みながら調整しました。

出版社の都合で1ヶ月後ろ倒しになることもあり、「本当に私の本が書店に並ぶのか」と不安でしたね。

ー出版後はどのような反響があったのでしょうか。

不安を抱えながら出版を迎えましたが、おかげさまで「奇跡では?」と思えるほど多くの方に買っていただき、ベストセラーになりました。すでにリーダーシップの本は山ほどありますが、それでもリーダーシップに関するノウハウは、今でも多くの方に求められていると実感しました。

出版後の反響として、まず全国経友会など、多くの団体から講演依頼が相次ぎました。時事通信社の「内外情勢」でも講演動画が公開されています。

日本人材ニュースONLINEや東洋経済オンライン、日経新聞など、メディアの露出も増えました。中でも嬉しかったのは、女性誌「CLASSY.(クラッシィ)」で特集を組んでいただいたこと。地元の同級生が、「美容院でたまたま手に取ったら五十嵐さんが載っていたわ!」と連絡をくれたんですよ。

出版のすごいところは、自分が動かなくても本がどんどん日本全国に行ってくれることです。NECの社長や上司も喜んでくれましたし、もちろん、事業の主軸であるコンサルティングやコーチングにも、良い影響が多くありました。

ー独立後、仕事のやりがいは会社員時代と比べてどのように変化しましたか?

独立後は、自分の思い通りに働けるようになりました。好きな仕事を選び、やりたくない仕事は断れる。不必要な根回しもなく、自分のペースで働けるのは最高です。

会社員時代も、比較的好きなことをやらせていただいていましたが、組織の制約は当然ありました。しかし、独立後は自分の意志で行動できます。やりたい仕事に集中できる環境が整い、やりがいがさらに高まったと感じています。

かつてのNo.1の日本を取り戻したい リーダーシップで社会を元気に。

ー今後は、現在のお仕事を通じてどのように社会貢献していきたいとお考えでしょうか?

私は、日本を元気にしたいと思っています。昔の日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」。あの頃の活気を取り戻したいという強い思いがあるのです。もっと皆が力を発揮すれば、十分可能でしょう。

自分自身の経験から、リーダーが変わることでメンバーが生き生きと働けるようになり、プロジェクト自体も楽しくなることを実感しています。リーダーは組織を活性化させる鍵なのです。

リーダーとして苦悩している人を支援し、良いリーダーの在り方を広めたいと考えています。それが、日本全体の活力に貢献するというビジョンを持っているのです。

そのためには、元気でやる気がある間は年齢関係なく、ずっと働き続けたいですね。体の自由が効かなくなっても、ペンさえあれば文章が書けますから。「もう邪魔だから出てくるな」と言われたら出ないけれど(笑)、本は書き続けたいですね。

ー50-60代で独立するか悩んでいる方はたくさんいらっしゃいます。そのように悩む方に向けてメッセージをお願いします。

まず、「独立するなら早い方が良い」と伝えたいです。

我々の世代は、定年まで同じ会社に勤め上げることが美学。でも現代は多くの若者が早期に独立し、活躍しています。そんな姿を見ていると、自分ももっと早く独立すればよかったと感じるのです。思い立ったときが行動を起こすベストタイミングですね。

50歳や60歳になれば、20歳の頃と比べて、経験や知見、資金面でも強みが備わっているでしょう。独立の基盤が整っているし、過去の経験を生かしてチャレンジできます。

私がそうしたように、自信を持って次のステップに踏み出してほしいですね。

 

50代以降で「転職をしたい」とお考えの方へ

・理想の転職先が見つからない
・転職活動の軸を見失っている
・100社以上の求人に応募しているものの、全て断られてしまった
・自分の経験やスキルは役に立たないのだろうかと自信を失っている

このようにお悩み方はBEYOND AGEの無料キャリア相談がおすすめです。50代以降のキャリアの目標について、シニアのキャリア開発のプロと一緒に考えましょう。 2,000名以上のご面談実績をもとに、シニアだからこそ活躍できる企業を紹介します。

50代以降で「独立・起業に挑戦したい」とお考えの方へ

・年齢に縛られない働き方をしたい
・理想の転職先が見つからないので、独立を検討している
・新しい挑戦として、独立・起業を検討している
・独立を志しているが、具体的に何をしていいのかわからない

そんな方は独立伴走アカデミーがおすすめです。独立準備から案件を獲得するまで、BEYOND AGEが伴走します。 これまで培った実務経験をもとに独立の一歩を踏み出してみましょう。

詳細を見る