独立後は「目に見えないもの」にいかに向き合うか  

独立を検討している50、60代の方の中には、「独立後はやりたい仕事ができるのか」と不安に感じる方も多いかと思います。

今回、お話いただいたのは、30年以上にわたり博報堂に勤務し、マーケティングやコンサルティング担当を務め、当時話題を呼んだ「博報堂大学」や「博報堂こどもごころ製作所」などに携わってこられた軽部拓さんです。  

独立時、環境が大きく変わる不安よりも、長い間やりたかった仕事に集中できることが嬉しかったと語ります。独立後、仕事において大切にしていることや専門外の領域を相談された時の解決策など、参考にしたいポイントについてお伺いしました。

Sコンサルティング代表
軽部 拓


東京大学経済学部卒業後、株式会社博報堂に入社、マーケティング局へ配属。その後九州支社に異動し、アジアを視野に入れた熱量のあるクライアントの課題解決に取り組む。その後、東京に戻り「博報堂こどもごころ製作所」を設立するなどの経験を経て独立、Sコンサルティング設立。現在は、経営、事業開発、商品開発などのコンサルティングサービスを提供中。

視座を高めるきっかけになった九州支社時代  

―独立を意識され始めたきっかけは何でしたか? 

30歳から5年間、福岡県にある博報堂の九州支社で過ごした経験がきっかけでした。それまで勤務していた東京本社は、業務における役割分担がはっきり分かれていました。 

しかし九州では、案件全体を見ながら仕事ができ、さらに韓国や台湾、上海など、アジアに目を向けている熱量が高いクライアントと仕事をする機会が多く、大きな刺激を受けました。これらの経験から、自分ができることを活かして世の中に貢献したいと考えるようになったんです。  

―九州支社での経験によって、どんな変化があったのでしょうか  

「濃い人脈」が圧倒的に広がりました。東京はあくまでクライアントと広告代理店というビジネスありきの関係のような感覚でしたが、福岡は代理店とクライアントの距離が近いんです。ビジネスパートナーでありつつ、個人としてのお付き合いもあり、そういった意味での濃さがありました。  

―東京本社に戻ってからは、どのような仕事をされたのですか?  

東京に戻ると、当時の上司が「九州での体験を活かして『博報堂大学』に携わってみないか」と声をかけてくれたんです。  

博報堂大学は「クリエイティブな博報堂」というコンセプトのもと、2005年4月に設立された企業内大学です。その大学を通して、クライアント案件ではなく、博報堂のスキルやナレッジを使い、エンドユーザーに直接貢献できる事業を起こしたいという話でした。非常に面白そうで、すぐに「やります」と返事をしました。  

―具体的に、どんな仕事を担当されたのでしょうか  

まず大学内に「博報堂こどもごころ製作所」を設立しました。クライアントの有無に関わらず、大人になると忘れてしまいがちな「こどもごころ」を取り戻そうという試みを、世の中に広めることが目的です。  

この業務を通して、それまで担当していたクライアントワークとは全く違う、新たな人脈が生まれました。当時は意識していませんでしたが、「こどもごころ製作所」での人脈も、独立後の大きな財産になっていますね。  

独立時に重視したのは「目に見えないもの」  

―九州でのお仕事と「博報堂こどもごころ製作所」の2つが大きな転機ということですが、それらのご経験は独立後の仕事にどのような影響を与えましたか?  

九州に行く前の東京での仕事は広告戦略を考えることが中心でしたが、九州では、それよりも一歩手前の経営者から課題を聞いて、ソリューションを提供するといった仕事をやっておりました。  

その後、東京に戻ってからもそのような仕事をやっていたので、独立後の事業内容にそのまま繋がっていったという感じですね。  

また事業を進めるときのスタンスに影響したのが「こどもごころ製作所」での経験です。  

それまで仕事といえば、クライアントから「キャンペーンをやりたいので、話を聞いてほしい」とお声をいただいて案件が発生し、それを進めていくというのが基本的な仕事の流れでした。しかし「こどもごころ製作所」では自分から生活者に対して呼びかけることで仕事が生まれます。つまり自分から動いていかないと、「こどもごころ製作所」の存在は知られることもなく、誰にも振り向いてもらえません。この経験は独立後の仕事のスタンスにも役立っています。  

―独立の際、不安や葛藤などはありましたか?  

収入がゼロになるなど、環境が大きく変わることへの不安はもちろんありました。しかし九州支社や「こどもごころ製作所」での経験から、収入のような「目に見えるもの」より、目に見えないものを重視するようになっていたので、大きな不安は感じませんでしたね。  

―目に見えないものとは?  

簡単にいえば仕事への向き合い方のようなものです。例えば、自分のスキルを売って、顧客の表面的な課題を解決し、報酬をいただくといった形ではなく、クライアントと一緒に本質的な課題に向き合い解決するという一連のプロセスです。  

結果的には、それが報酬のような「目に見えるもの」に繋がるわけですが、私にとっては仕事にどう向き合うかといった「目に見えないもの」の方が大事で、それを大切にしながら仕事をした方が楽しいということをこれまでの経験で実感していました。  

独立後は「これからは目に見えない大事なものに本格的に集中できるぞ」という嬉しさの方が強かったです。  

独立後は会社員時代に培った人脈を活かし、順調に顧客を獲得

―独立後のお仕事について教えてください  

独立後は、クライアントの経営、事業開発、商品開発などに関するコンサルティング業務を提供しています。例えば電気メーカーのブランドコンサルティング、ホテルのリブランディング、鞄メーカーの事業開発コンサルティング、不動産会社のインナーブランディングなどを手がけてきました。  

―独立後の顧客獲得はスムーズでしたか?  

ありがたいことに順調にお仕事をさせていただいています。独立する時に、30年以上のサラリーマン生活で培った人脈に対して1000人ぐらいに退職のご挨拶をしたところ、多くの方から「一緒に何かやろうよ」、「この仕事、頼めないかな?」というお話をたくさんいただきました。  

また声をかけていただいた多くは「目に見えないもの」を大切に一緒に仕事をしてきた九州支社時代のクライアントや「こどもごころ製作所」時代の繋がりでした。  

―独立後は順調な船出ということですが、独立前にやっておけばよかったと思うことはありますか? 

独立後すぐに仕事を始めたのですが、休みを取って旅行にいくことや、特定の場所でしかできない体験をしておけばよかったなと思います。独立後、様々なジャンルの仕事があり、クライアントの幅も広がったので、独立前にいろんな経験をしておけば、現在の仕事にも役立ったかなと思います。博報堂でいろんな経験をしたつもりでいましたが、まだまだ足りなかったですね。

仕事で「できない」を口にしないために常に新たな知識をインプット  

―仕事において大切にされていることについて教えてください  

先ほど説明したように、クライアントの表層的な問題だけでなく、どれだけ本質的な問題に向き合えるかを重視しています。そうすると、自分の専門外の課題も見えてくるんですね。例えば人事体制に関して、「どういう項目にどう点数をつけたら良いですか?」というご質問を受けることがあります。  

私はブランディングやコミュニケーションが専門領域であって、人事の専門家ではありません。しかし、そんな時でも「ごめんなさい、そこからは専門外です」とは言わないように気をつけています。不思議なことに、専門ではなくても、クライアントの本質に真剣に向き合えば、解決策が見えてきます。  

なので、大切にしていることは2つあって、1つは「ただスキルセットを売る」だけに終わらず、クライアントの抱える本質的な課題を見出し、そこに真摯に向き合うこと。そしてもう1つは、本質に向き合う過程で自分の専門外の問題も出てきますが、それでも「やりましょう」と受けてみることです。 本質的なところから向き合っていると解決できることがほとんどなので。 

―専門外のことに対応するためには、絶えず新たなインプットを心がける必要がありますね  

そのインプットがすごく楽しいんです。毎日がチャレンジなので、今の自分が一番未熟で、明日は絶対、今日よりも成長すると確信しています。  

50、60代はだんだん頭が固くなってくるので、「自分の得意分野はこれ」「今さら新しいことにチャレンジする時間はない」と思いがちですが、そんな風に考えると成長できないですよね。だけど、今日の自分が最も未熟と考えれば成長するしかないですし、まだ変われるんだと思えば前向きなエネルギーが出てきます。  

とにかく「できない」とは言わない。できないことは必死に勉強したり詳しい人に教えてもらったりして、できるようにしなければいけない。大変ですが、それは独立に伴う覚悟ですね。  

―考え方を柔軟に保つために、意識していることはありますか  

「自分のやり方は最適か」「別の視点があるんじゃないか」と、常に意識することでしょうか。「こどもごころ製作所」を担当している時に思ったのですが、一見スムーズに進んでいる事業でも、第三者が見れば「ここがおかしい」「ここを変えれば、もっとうまく進むのに」という点が出てくるんですよね。  

ですから自分の過去のやり方や経験に固執せず、最適な仕事の進め方について案件ごとに見直すこと、自分だけのモノサシで全てを見ないことを意識しています。  

―独立後、忙しさはどう変わりましたか?  

物理的な時間の忙しさはほぼ変わらないです。ただサラリーマンだった時には、「目に見えるもの」のためにやらなければいけない時間がたくさんあったことがわかりました。例えば人事の評価作成や、会議で使う書類の準備などです。さらに忖度や気遣いなど、組織内の人間関係が絡んでくる問題への対応も含まれます。  

どれも組織を動かす上では必要ですが、そういった作業は時間を取られる上、知らないうちに精神的ストレスもかなりたまってきます。当時はそれが当たり前になっていて気づきませんでしたが、独立してみるとそこが本当にスッキリと全くなくなりました。そのため自分の大事にしている、仕事の向き合い方などの「目に見えないもの」に集中できます。  

物理的な忙しさは会社員時代とあまり変わりませんが、やりたいように仕事をしているので非常に快適です。  

クライアントにとって身近な「一緒に悩み、解決策を考えてくれる人」になることが目標  

―今後の展望について、お話をお願いします  

肩書としては経営・事業開発・商品開発などのコンサルタントですが、その肩書の範囲にこだわるつもりは全くありません。もっと身近な、「悩みや困り事を一緒に考える人」みたいなポジションになりたいと考えているんですよ。  

自分が一生懸命に肩書きを決めようが、「こういう事業をやっています」と宣伝しようが、実際に私と一緒に仕事をした人の「軽部さんってこういう人だよ」という印象の方が真実だと思うので。  

「軽部さんは一緒に悩んでくれるから、一度、相談してみたら?」と言ってもらえれば、クライアントも胸襟を開いて、もしかしたら会社の部下には言わないようなことも言ってくれるかもしれません。本質的な課題と解決策について、お互いに表面的でなく、本音で話し合えるようにする、そうすればいいアウトプットや良い結果に繋がっていくのではないかと感じています。  

―キャリア・独立に悩んでらっしゃる50代・60代に向けて、メッセージをお願いします  

先程からお伝えしているように、目に見えるものに固執しすぎない方がいいと思います。定期収入がなくなることをはじめ目に見える変化は怖いですが、それを気にしているといつまでたっても苦しいです。独立によって失うものを追いかけ始めると焦りますし、空回りしてしまう。本来の自分らしくないことをしてしまったり、やりたくないことに手を出してしまったりする恐れもあると思います。そうするとキャリアが停滞する恐れがありますし、そこから新しいことに挑戦しても好転しないのではないでしょうか。  

目に見えるものだけを見ないとは、別の言い方をすれば利益を最優先しないことです。利益に縛られるとやっぱり面白くないし、焦るし、本当の自分が出せないので。自分は何をしている時が楽しいのか、何ができるのかをとことん見つめ、やりたいことを決めたら、そんな自分自身を信じる勇気を持ってください。