「キャリアのゴールは定年退職の60歳まで」と設定している方は多くいらっしゃるかと思いますが、人生100年時代において、定年退職は「ゴール」から「通過点」になり、さらにその先のキャリアについても考える必要があります。
今回は、西友で人事を経験し、その後GUCCIグループやジョンソン&ジョンソン、アストラゼネカ、LUSHなどの有名外資系企業の人事を経験したのちに、独立した安田さんにお話を伺いました。安田さんはオンライン経済メディアのNewsPicksのプロピッカーとしてもご活躍されていらっしゃいます。
「人生のゴールを会社に決めさせてよいのかと疑問に思います。自分のゴールは自分で決めるべきでしょう」と語る安田さん。今回は独立前の準備や独立後の顧客との向き合い方、また人生100年時代においてどのようなキャリアを設計するべきかについて伺いました。
安田雅彦
1967年生まれ。1989年に南山大学卒業後、西友にて人事採用・教育訓練を担当、2000年にL.L.Beanという子会社出向の後に同社を退社し、2001年よりグッチグループジャパン(現ケリングジャパン)にて人事企画・能力開発・事業部担当人事など人事部門全般を経験。2008年からはジョンソン・エンド・ジョンソンにてSenior HR Business Partnerを務め、組織人事や人事制度改訂・導入、Talent Managementのフレーム運用、M&Aなどをリードした。2013年にアストラゼネカへ転じた後に、2015年5月よりラッシュジャパンにてHead of People(人事統括 責任者・人事部長)を務める。2021年7月末日をもって同社を退社し、自ら起業した株式会社 We Are The Peopleでの事業に専念。現在、20数社のHRアドバイザー(人事顧問)を務める。 またソーシャル経済メディア「NewsPicks」ではプロピッカーとして活動。
企業URL : https://wearethepeople.jp/
- 1 大学4年生の頃、西友から内定を獲得するものの、留年の危機に直面。
- 2 大学卒業後は西友の荻窪店に配属
- 3 人事として子会社に出向するものの、会社の解散をきっかけに転職を決意
- 4 複数の外資系企業の人事部を渡り歩き、人事の確かな実績を積み上げる
- 5 独立前にはLUSHの人事責任者を務め、オンライン経済メディアのNewsPicksにも数多く出演
- 6 コロナをきっかけに独立を意識
- 7 独立後は外資系企業の人事経験を活かして、中小企業の人事部に貢献
- 8 「課題を抱える顧客が検索して自分が出てくる状態」を作る
- 9 「社内の人事」から「社外の人事」に立場が変化した際の難しさとは?
- 10 独立後の課題は常に期待以上の価値提供を続けられるか
大学4年生の頃、西友から内定を獲得するものの、留年の危機に直面。
ー安田さんはこれまで華やかなキャリアを歩まれていますが、学生時代はどのような学生でしたか?
実は学生時代は特に大きな志もなく、何もしてなかったですね。高校は県立の進学校に通っていましたが、勉強も真剣に取り組んでおらず、テストの順番は学年全体で約300人中、270番台でした。
ただ受験期に差し掛かる頃、名古屋で有名な南山大学に行きたいと思い、そこからがむしゃらに勉強して、火事場の馬鹿力でなんとか合格することができたんです。
しかし、ハードな受験期の反動もあってか、大学ではほとんど勉強せず、遊びやアルバイトに明け暮れました。就職活動の時期には幸いにも西友から内定をいただきましたが、大学3年間で単位をほとんど取得しておらず、大学4年生は1つも単位を落とせない状況だったんです。
「このままではまずい」と大学4年生になって真剣に勉強に取り組み、奇跡のような卒業を果たし、1989年に西友に入社することになります。
ー大学受験に引き続き、火事場の馬鹿力が再度発揮されたんですね!なぜ西友を選ばれたのでしょうか?
西友を選んだ理由は2つあり「東京で働くことができるから」、もう一つは「小売に興味があったから」です。西友はかつてバブル期に大きな流通グループとして全盛期だったセゾングループの中核企業でした。
当時業界としても勢いのある小売業で、消費者に対して影響を与えるBtoCビジネスに携わりたいと思い、西友を選びました。
大学卒業後は西友の荻窪店に配属
ー新卒入社した時点ではどういったビジネスパーソンになりたいとお考えでしたか?
私は競争意欲や自己顕示欲が強いタイプなので、約200人の同期の中でも中心的な存在で、かつ影響力のある人物になりたいなと思っていました。
ただそれ以外にはこれといった志を抱いておらず、セゾングループのような大企業を志望した理由も、ただ華やかな東京の生活に対する憧れや、異性にモテたいという程度の動機でしたね。
ー入社後はどのようなキャリアをスタートさせましたか?
入社後は東京の西友荻窪店に家電販売担当として配属されました。当時は憧れだった東京の生活が楽しくて、仕事面でも売り上げを伸ばしていたので、毎日が幸せでした。
着実に実績を積んでいたこともあり、「元気な若手社員を本社に連れて来い」と言わんばかりの人事異動があり、そこで人事部に異動することになったんです。
突然の人事部配属で、最初は驚きました。私はもともと西友で「スーパー店長」を目指していたので、「なぜ僕が人事に?」という感じでしたね。人事部に行きたいといった特別な希望を持っていたわけでもなく、そのような形で人事キャリアがスタートしたんです。ただ、土日が休みではない店舗での働き方とは違って、土日休みの「いかにもサラリーマン的な生活」が始まることが嬉しかったのを覚えています。
人事として子会社に出向するものの、会社の解散をきっかけに転職を決意
ー西友で人事をご経験後に転職されています。どのようなきっかけがあったのでしょうか?
先ほどお話しした人事異動をきっかけに、2000年まで西友の人事部に所属していましたが、その後、子会社であるエルエルビーンジャパンに人事担当として出向しました。このエルエルビーンジャパンという会社は、もともと西友と松下電器(現パナソニック)のジョイントベンチャーとして90年代に設立され、アメリカのアウトドアブランドである L. L. Bean商品を輸入・販売する会社で、現在日本で同ビジネスを展開しているエルエルビーンインターナショナルの前身です。
90年代に日本での展開がスタートし、元々未上陸ブランドだったこともあり、当初は成功を収めていたんです。
しかし、日本に進出して10年ほどが経過した頃、L.L.Beanブランドが消費者にとって当たり前になり、店舗数の過剰な拡大や、ユニクロが初めてフリースジャケットを発売するなど、衣料品の価格が激変しているような環境変化も影響し、売上が停滞し始めました。
ちょうどその停滞時期の前後のタイミングで親会社の西友から出向することになり、出向して2年が経過した頃に、この子会社を閉鎖することになりました。
私は西友からの出向者なので、子会社が閉鎖されても雇用は保証されていましたが、他の社員はすべてエルエルビーンジャパンで採用した社員で、会社がなくなれば彼らの雇用も終了する状態です。そのため、人事担当として、社員たちの会社都合退職の準備と、再雇用先の調整、西友に社員を配属する必要がありました。
この経験を通じて、「会社はいつかなくなるんだ」と、会社に人生を委ねることのリスクを痛感し、転職を意識するようになりました。その時にはすでに私は人事の仕事が好きで、やりがいを感じていたため、「これからは人事のプロとしてキャリアを築こう」と思い、外資系へと転職することになります。
複数の外資系企業の人事部を渡り歩き、人事の確かな実績を積み上げる
ー西友でのハードシングスをご経験された後、GUCCIグループやジョンソン&ジョンソン、アストラゼネカ、LUSHと外資系企業を中心にキャリアを歩まれています。なぜ外資系を選ばれたのでしょうか?
人事のプロとしてキャリアを歩む上で、外資系企業は長期雇用を前提としないチャレンジングな環境が良いと思っていました。
例えば、当時は日本国内の中途採用市場はまだ発展途上で、新卒採用と長期雇用が主流でしたが、外資系企業では中途採用も活発に行われていました。
また外資系での経験は、年功序列ではなく成果主義や多様性を重視するカルチャーが自分に合っていると感じていましたね。特にジョンソン&ジョンソンでは、経営理念であるクレドを実践する企業文化からも多くを学んだりと、結果的に独立後の提供価値につながる経験ができたと思っています。
独立前にはLUSHの人事責任者を務め、オンライン経済メディアのNewsPicksにも数多く出演
ーLUSHの人事責任者を務められている時期にNewsPicksの出演も増えてきたかと思いますが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
私がNewsPicksでの活動を本格化させたのは2019年頃からですが、ジョンソン&ジョンソン時代に同僚だった産業医の大室正志さんが私よりも先にNewsPicksに出演していたんですね。
また、当時NewsPicksの編集長で現NewsPicks Studios 代表取締役CEOの金泉さんとも大室さんを通じて交流があり、そのようなご縁から2019年ごろからプロピッカーとして活動を始めました。
当時、特に独立を考えて出演していたわけではなく、むしろユニークな組織文化を持つLUSHの魅力を伝えるスポークスマンとしての役割を果たせればと考えていました。
コロナをきっかけに独立を意識
ー華やかなキャリアを歩まれてきたかと思いますが、どのようなことがきっかけで独立を意識するようになったのでしょうか。
コロナウイルスの流行がきっかけで、その後のキャリア、特に独立について深く考えるようになりました。逆に言えば、コロナがなければまだ会社員として働いていたかもしれません。また、独立を検討した時期は、外資系企業での人事のキャリアに限界を感じ始めていた頃でもあったんです。
外資系企業のエグゼクティブレベルで活躍するためには、ビジネスの知識だけでなく、アカデミックなバックグラウンド、例えばMBAの取得などが求められます。しかし、私には留学や駐在の経験はないですし、MBAのような資格も持っておらず、実務経験だけでやってきたようなものです。
また、本社からの要求に対応し続けることに疲弊していて、この状況を長く続けられるのかと疑問に感じるようになり、独立を真剣に考え始めました。
独立後は外資系企業の人事経験を活かして、中小企業の人事部に貢献
ー独立することに対して特に迷いや不安はなかったのでしょうか?
NewsPicksでのプロピッカーとしての経験や他の副業の経験を通じて、「独立してもやっていけるな」と感じていたので、特に不安はなかったですね。
また昨今の日本企業の多くは多様性、人材育成、経営戦略と人材戦略の一致、上司と部下の関係改善などの人事課題に直面しています。これらの分野において外資系企業はリードしていると感じていたので、外資系企業で培った経験をもとに価値提供できると考えていました。
先述したように私の場合は独立前に副業をしていたことによって、上記のようなニーズを事前に検証できており、それも独立に踏み出すために役立ったと思います。
「課題を抱える顧客が検索して自分が出てくる状態」を作る
ー独立後、顧客からはどのような経緯でお仕事を依頼されることが多かったですか?
経路は大きく2つあり、1つは既存のネットワークや顧客からの紹介、もう1つはNewsPicksで私を見たことをきっかけに依頼いただくケースで、これが意外と多かったですね。また年に4回ほど、NewsPicksなどで社会人向けの有料の講座を実施するのですが、その講座を受けていた方が顧客になるケースもあります。
ー顧客獲得において意識していることは何でしょうか?
私が常に意識していることは「顧客が困ったときに検索して自分が出てくる状態を作る」ことです。そもそも「人事・組織コンサルティングサービス」は、課題への切迫感が無い企業に自ら営業して仕事を獲得するものではないと思っています。
「困っている人が助けを求めたときに、そこにいる存在であること」が重要で、そのためには、自分の考えや見解を定期的に発信したり、その分野において価値提供し続ける必要があると考えています。
頭を下げて仕事を求めるスタイルではなく、自然と必要とされる立場を築くことを目指す、これは、独立当初から変わらない私のスタンスです。
ーそのためにはやはり情報発信が重要ですね。
そうですね、振り返ると、過去に発信した情報などを見た上でお問い合わせをいただくことが多いです。例えばNewsPicksでは動画コンテンツにも出演していますが、それを見るだけでも、私がどのような物の見方をしているのか、何に重点を置いているのか、どのような物言いなのかが伝わるかと思います。
その結果、顧問として参画した時には顧客はすでに私のことをよく理解しているため、導入後に成果が出やすくなるのです。ある意味、これが私の営業の一環であるとも言えます。今ではSNSでも発信できる時代なので積極的にやるべきだと思います。
「社内の人事」から「社外の人事」に立場が変化した際の難しさとは?
ー社内の人事から社外の人事という立場に変わり、それに伴う難しさはありますか?
はい、立場の変化による一定の難しさは伴います。ただし、私はどちらの立場でも自分がその企業の人事のトップであるかのように行動し、責任感を持って取り組んでいます。社外の人事であっても忖度せず、率直な意見を述べることに変わりはありません。
しかし、社外だと組織内の細かな空気感の違いを把握するのが難しいという課題があります。
社内で人事部長を担っていた頃は、組織の微妙な変化に対して敏感に反応し、それに基づいて人事施策などを策定していましたが、社外からではそのような細やかな感覚を持つことができないため、若干の難しさが生じます。
ーそういった状況に対してどういった工夫をされているのでしょうか?
顧問先とできるだけ多くの会話を意識することですね。訪問時には意識的に会話を多くし、担当者や社長からその年度の重点事項や問題点を聞き出すようにしています。これにより、限られた機会でも本音を引き出し、企業の実情をより理解できるようになります。
ー相手の本音を引き出すためにどのようなことを意識するべきでしょうか?
自分自身が率直な意見を述べることを大切にしています。その上で相手の話に耳を傾けます。
これは過去の転職経験から学んだことでもありますが、入社初日から事業部長と会話し、その時には自分自身をさらけ出すように意識していました。
そのためには仕事の話ばかりではなく、雑談も重要ですね。最初から「人事戦略はこうするべきで…」と話しても前に進まないので、「私の人となりも知ってもらう」、「相手の人となりを知る」ことを常に意識しています。
独立後の課題は常に期待以上の価値提供を続けられるか
ー現在はどれほどの企業を支援されているのでしょうか?
私は現在、約23、4社と顧問契約を結んでおり、定期的に単発の仕事を依頼していただく企業も含めると、合計で約30社の企業を支援しています。
料金設定に関しては、基本的には一律の明朗会計です。ただし、特定のプロジェクトのレベルや、企業内に人事担当がいるかどうかなどの要因に応じて、オプション料金が加算されることもあります。
ー独立後に感じている課題はありますか?
「安田さんに顧問をお願いしてよかった」と思ってもらえる企業を増やす必要があると感じています。
過去に顧客から「顧客同士のネットワーキングはしないんですか?」と質問されたのですが、この質問を受けた時「まだ顧客に十分に価値提供できていないのではないか」と考えるようになりました。
今後は単にコンサルティングサービスだけでなく、私が直接関与しない形での顧客間の知識共有やネットワーキングの機会を提供することで、顧客満足度を向上させる方向で考えています。
ー人生100年時代、50、60代になっても残り20、30年の時間が残されています。今後はどのようなキャリアを歩んでいきたいですか?
私自身は死ぬまで働きたいですね。現在のように毎日睡眠時間が4時間ほどで、週5日間タクシーを使って都内を駆け巡るような忙しい仕事ぶりを80、90歳まで続けることができるのかと疑問はありますが…。この点について、どのように自己管理していくかは、まだ明確なイメージができていないところです。
しかし、いずれにしても、働き続けるというビジョンを持った上で、50、60代になった時、「どのような自分であるべきか」、「10年後や20年後にどのような状態になっていたいか」を具体的に描くことが重要だと思っています。
ー会社員のキャリアの設計と独立後のキャリア設計は本質的には同じなのでしょうか?
本質的には、どちらのキャリア設計も同じでしょう。しかし、多くの会社員はキャリアのゴールを「定年まで」と考える方が多いですよね。
しかし、定年まで頑張るという考え方だけでなく、定年後のキャリアについても考えるべきだと思います。会社が決めたゴール、例えば「42.195キロメートル走れ」と言われたら、それにただ従うのではなく、30キロで終わるか、100キロ走るかを自分で決めるべきです。
日本のサラリーマンの多くの方は60歳で定年退職し、年金や退職金で暮らして、「会社のしがらみで苦しんだサラリーマン生活も今日で終わりだ」「何か好きなことやって、例えば釣りでもやって、残りの20年を生きるんだ」「これからの20年こそが俺が待ち望んだホリデーなんだ」と思ってるサラリーマンは多いと思うんですよ。
しかし、「それでいいんですか」と私は思います。42.195キロメートルだけではなく、もっとその先を走ってみませんか、と思いますね。
特に人生の後半部分、例えば残り10年や20年は、自分でハンドルを握り、自分の道を自ら選択し進むべきだと思います。このような考え方は、特に現代のような人生100年時代においては重要になるでしょう。