日本の高齢化が進む中で、現役を引退した後も社会に貢献したいと考えるシニアが増えています。しかし、シニア世代が積極的に参加できるビジネスや活動の場はまだ限られているのが実情。「どうすれば、自分のキャリアを活かして新たな挑戦に踏み出せるのだろう」という疑問を抱える方もいらっしゃるでしょう。
今回は、70代で起業を経験した名古屋さんに、シニア人材が学び直しを経て社会課題に関わることのやりがいや、年齢を重ねても活躍しつづけるポイントについて伺いました。
測量会社からキャリアをスタート。コンピュータ室で経験を積んだ後、ソフトウェア会社の立ち上げに参加し、プロジェクトマネジメントなどに携わる。10年前に「立教セカンドステージ大学」で学んだことがきっかけで独立を考え始め、2023年、42年間の会社員人生にピリオドを打って起業。現在はシニア世代が活躍できるビジネスの立ち上げと運営に奔走している。
絵の道を断念し、測量会社に就職
—これまでのご経歴について教えてください。
私は航空写真測量会社に就職し、コンピュータによる座標変換の部署に配属されました。実は好きな絵・デザインの道に進みたかったこともあり、製図に関わりたかったのですが、叶いませんでした。
当時は卓上計算機の時代。私自身、コンピュータの知識は全くありませんでしたが、座標変換のプログラミングの仕事に興味を持ち1年後に測量会社大手に転職を試みました。勤務地の関係で転職は叶わず、夜間のコンピュータ学校で技術を学び、その後、約11年間、一般企業のコンピュータ室で設計、プログラミングの経験を積みました。
その後、ソフト会社の立ち上げに関わり、創業メンバーとして入社。最初は3、4人からスタートし、最盛期でも50人程度の規模。15年ほど前に大手企業の子会社として、社員ごとグループに加わり、2023年の退職迄42年間勤務しました。
独立を決めてからは早く退職しようと考えましたが、業務量を減らすことができないまま昨年退職。起業後は、取引先として業務委託の形で古巣の仕事を受けています。
独立を決意したきっかけは大学で出会った同世代
—独立を決意されたきっかけは何でしょうか。
10年ほど前に「立教セカンドステージ大学」というシニア向けの大学で学んだことが転機になりました。
当時、創業メンバーとして参画した会社の仕事を続ける選択肢もありましたが、このままこの会社の仕事だけで一生を終えるかも知れないと感じ、別の道を模索することにしたのです。
当時は大阪本社と和歌山開発センタを行き来しておりましたが、退職後は関東に落ち着きたいという思いがあり、そのようなことを考えているときに応募した「立教セカンドステージ大学」に合格し、子どもも関東在住で、1人暮らしで身軽でしたので、予定より早く東京に引っ越しました。
東京では、週3日の仕事を続けつつ、大学で学ぶ中で、同世代の人々との出会いがたくさんありました。
彼らの多くが時間とキャリアを持ちながらも次のステップに迷っていることに気づき、「なんとかこの人たちを世の中の役に立てたい。」そう思ったのが起業に踏み出す大きなきっかけでした。
—実際に起業をされるまでに、どのようなプロセスを辿ったのですか。
通っていた大学を通じて、三菱総研が設立した「レガシー共創協議会」に参加しました。
これは、2020年東京オリンピック・パラリンピックを契機に社会的課題の解決を加速し、未来へ良いレガシー(遺産)を築くための協働プラットフォームとして設立したもので、多くのチームが立ち上がりました。そのうち、実際に組織化できたのはわずかでしたが、私のグループもその一つに入り、一般社団法人を立ち上げるところまでこぎつけました。
しかし、結果的にはうまくいきませんでした。その理由は、株式会社のビジネス感覚と非営利を目的とする組織に対する感覚について、私の意識が乖離していた点にあります。
意思決定のスピード、合意形成において、非営利団体に対する理解不足が大きく、代表との認識の齟齬から人間関係構築がうまく行かず、最終的には私が組織を離れる形になりました。当時の私は、代表に対して十分な配慮をすることができなかったと思っています。
その後は子ども支援に関わりましたが、本気度に熱量の差があり、活動を広げようとすると、「そこまでやらなくても」という声が出て、シニア世代のキャリアを活かすことも難しさを実感しています。
私には「人材を活かす」という視点はありましたが、周囲と協議を重ねながら物事を進めていく経験が足りていなかったのかも知れません。意思決定のスピードの遅さに、歯がゆさを感じることも度々ありました。
このような失敗を重ね、昨年、やっと74歳で起業。東京に移ってから10年が経っていました。
お客様のためという思いで日々の仕事に没頭し、社会の動きに興味を持たず目もくれなかったため、この10年間は本当の意味で社会勉強の日々であったと思っています。
—シニア向けの事業を作ろうと思ったきっかけは何ですか?
シニア世代の多くは「引退後は仕事ではなく、ボランティアでいいや」という感覚を持つ方も多いですが、私はあくまでも、お金をいただいて責任が伴う仕事することにこだわりたいと感じていました。
当然ながら、現役世代のように全ての仕事に対してバリバリ働けるわけではありません。
だからこそ、できる範囲で、できる事をワクワクしながら仕事をして対価をいただける、シニア世代に特化したビジネスが必要だと考えています。金額の問題ではないのです。1時間500円でも1000円でも構いません。
しかし、現実にはそういったモデルは探せなかった。だから、作りたいと思ったのです。
—独立に至るまで、どのような準備をされましたか?
実は、特別な準備というのはほとんどありませんでした。なぜなら、すでにやっていたことを発展させたからです。
これまで任意団体として5〜6年間、子どもたちへの学習支援活動を行ってきました。具体的には、小学校の子どもたちを対象に、小学校で放課後にシニア世代が一緒に勉強する形です。
私たちは教育者ではありませんから、「教える」というスタンスはとりません。あくまで子どもたちに寄り添い、一緒に勉強して少しでも「わかった!」を増やすことに取組んでいます。
もう一つの活動として、NPOにてフィリピンの山村の子どもたちに絵本を送る教育支援活動も行っています。これは立教セカンドステージ大学の先輩が行っていた事業を引き継いだものです。
起業にあたっては、事業の目的を理解してくれた仲間2人を誘い、3人が発起人としてスタートを切りました。
—70代で独立される事例は多くありません。周りに事例が少ない中で独立される際に不安に感じていたことなどはありますか?
不安は何もありませんでした。「仮に会社がつぶれても明日の生活に困るわけじゃない」と思っていましたから。
その秘訣は、資本金を最低限に抑え、リスクを最小限にしたことでしょう。いきなり多額の投資をすることより、あくまでも事業収益の中で、赤字を出さない程度に事業を広げていくことを当初の目標にしました。そのため「非営利型株式会社」とし利益は社会貢献団体に寄付することとしています。
そもそも、これまで年齢を意識したことはほとんどありません。今年初めて「後期高齢者」というカテゴリーに入り、保険証や法的な扱いに変化がありましたが、「だからどうなの」という思いです。
独立後から現在について
—独立して仕事に対するやりがいは会社員時代とどのように変わりましたか?
経験豊富な人とのつながりが広がっていくことに、大きなやりがいを感じています。
独立して気づいたのは、特別なことをしているわけではないのに、自然と多くの人が周りに集まってきてくれることです。新たな問題に直面した時、不思議なほど、その問題に関係する方々との出会いがありました。
イベントなどに誘われた際、断らずに参加してきたことも要因かもしれません。気が進まない時でも、行けば必ず何かしらの収穫・学びがあるのです。
—独立起業の難しさを感じたことはありますか?
もちろんあります。特にシニア世代は同じ熱量で仕事に取り組む「仲間集め」が大きなハードルです。
会社員時代と同様、すべての仕事を一人でこなすことはできません。そこで、特定の分野について協力してくれる人を見つけ、お願いすることが必要です。今は3人の仲間がボランティアで手伝ってくれていますが、将来的には月に10万円の報酬を目指して、少しずつ協力者を増やしたいと考えています。
もう一つの課題は「自分との戦い」です。こればかりは年齢に関係なく続くものでしょう。
現在、委託を受けている会社の仕事を並行して行っています。1日の中で複数のタスクをどう時間配分するか、睡眠時間をどう確保するかなど、自分の生活スタイルと仕事を調整しなければならないのです。
特に私は、締め切り直前にならないと集中できないタイプの人間。相手に迷惑をかけないように、しっかり辻褄を合わせて納期を守る事に苦労しています。
—シニア世代ならではのビジネスの難しさもあるのでしょうか。
リタイア後のシニアには納期がなく、必死に頑張らなくても生活に困らないという点があります。シニアのビジネスが成長しにくい要因はここにあるのではないでしょうか。
70歳の時に今後の活動に必要な知識としてキャリアコンサルタントの資格を取得しました。キャリア理論において、老年期には「絶望」や「衰退」という言葉が出てきます。
私はそれにとらわれず、自分らしい生き方を続けていきたいと考えています。シニア世代にとっての大きな課題は「責任」。責任ある仕事に取り組む覚悟を持つことが必要でしょう。
—独立して印象的だった出来事はありますか?
会社を立ち上げた翌月、発起人の1人であった女性の認知症が判明しました。
彼女には身寄りがなく、図らずも全面的に頼られる状況になってしまったのです。
私自身、介護や福祉に関する知識は皆無で、友人・知人他多くの方達に相談しながら、約1年半にわたってサポートを続けました。
状態が悪化してからは、多いときには1日に90回も電話がかかりましたが、1人暮らしの不安を私に電話をかけることで安心感を得ていたと思います。
今年8月、成年後見人が決まり、精神科への入院を経て施設に入居。私への電話はなくなりましたが、これで本人の不安が解消し穏やかな日々を過ごせることを祈るばかりです。
彼女と一緒に活動することは叶いませんでしたが、この出来事で大きな学びを得たと思っています。それは、我々シニア世代は、いつ誰が認知症になるか分からないということ。私自身も明日どうなるかはわかりません。
彼女は、一緒に会社を立ち上げ、こういうやり方で私に教えてくれたのかも知れない。そう気づいてからは、シニアの生き方や生き様について深く考えるようになりました。この学びを新しい事業につなげるべく準備しています。
—今の働き方を形作る原体験とは、どのようなものなのでしょうか?
私の働き方の原点は、会社員時代にあります。せっかく入社した人を育てても、転勤、激務で追い込んでしまう。
その結果、彼らは環境に適応できずに退職してしまうということが多くありました。個々の適正に合ったマネジメントができていれば、人的資本を最大限に活かせるのに…。
この経験から長所を延ばして、「人を活かしたい」と強く考えるようになったと思います。
若い社員が成長したと感じたときは至福の瞬間でした。
—起業後、会社員時代の経験が生きた出来事はありますか?
1人では何もできません。困ったときに相談できる人、応援してくれる人を増やすことは、起業後の今でも役に立っています。
同じ思いと熱量の人を見つけるのは本当に難しく、現在、5つの団体で活動しておりますが、自社の仕事は優先順位が一番下になります。それでも、人とのつながりを築けたことは大きなメリット。会社員時代には得られなかった多様なネットワークが、現在の私の無形資産になっています。
時には社外でのコミュニケーションも必要で、お酒は飲めませんが、飲み会は好き。本音で話せる場として必要と感じています。
今後は「同世代の心の支援」を通じて社会貢献をしたい
—今後はどのように事業を成長させていきたいですか?
日本の公的支援は、1人住まいや身寄りのない人であってもサービスは充実しています。しかし、どれだけ物理的なサポートがあっても、心の不安を埋める支援は足りていないのです。私が支えた認知症の仲間のように、心の繋がりを求めている人はたくさんいるのではないでしょうか。
そこで、子ども支援に加えて、我々世代の当事者同士で支え合う仕組みを作りたいと考えています。現在、プロジェクト発足に向けて具体的な検討に入ったところです。
—名古屋さん自身、今後はどのようなキャリアを築いていきたいですか?
平均寿命が延びる中、これまでのキャリア理論は書き換えるべきだと思っています。
今の40代以降が私たちの世代になる頃には、社会は大きく変わっているでしょう。今の若い世代は副業も認められ、本業とボランティアを組み合わせる等、様々な活動を行っています。
したがって、大きな展望は持っていません。5年後、10年後にこの会社がまだ存在しているとすれば、それは次の世代が全く新しい形で運営しているということでしょう。むしろ、現役→リタイアという枠組みはなくなり、私たちの役割は早く終えるべき(必要なくなるべき)だと思っています。
—シニア世代が現役世代にどのような良い影響を与えられるとお考えでしょうか?
まず最低限「元気でいること」です。シニアが健康で機嫌よく市民活動に参加できていれば、医療や介護にかかる費用が抑えられます。そして自分が幸せであること、それが無いと現役世代に役立つことはできません。
さらに、子どもたちの「心を育てること」が挙げられます。学校には寂しい思いをしている子どもたちが多くいます。
また、子どもを支える現役世代、たとえば小学校の先生方の中にも、非常に疲れている方が多くおられます。そんな先生方をサポートする役割も果たしたいと考えています。
私たちの活動は、次の世代のプラス(支える力)にならなければ意味がありません。だからといってシニアだけの事業でもダメです。現場で動くのはシニアであっても、組織の運営は若い世代に関わってもらわないと固まった考え方になってしまいます。
最後に、今回お話ししたように、70代になっても年齢の壁を感じることなく、何歳になってもチャレンジできると考えています。
50代、60代、さらに私と同世代の70代で、「これからどうしようか」と悩んでいる人は、まずは一歩踏み出してみることが重要だと思います。何歳になっても「遅すぎる」「もう歳だから」ということはないのです。