「会社の看板がない状態でどこまで通用するのか。」これは50、60代で独立を検討している多くの方が感じる懸念点かと思います。
今回取材したのは株式会社オリコミ(現株式会社オリコム)、博報堂に勤務し、社内起業の経験もある株式会社分室西村の西村康朗さん。現在は様々な企業の顧問として、広告宣伝や経営、事業成長に関する補佐・指導などを行っています。
独立前から「会社の看板がない自分が、どこまで通用するか」を常に意識していたといいます。独立について悩んでいる方は、ぜひリアルな声を参考にしてください。
株式会社分室西村 代表取締役
西村康朗
学生時代、デザイン事務所でのアルバイトをきっかけに広告業界に興味を持つ。大学卒業後は株式会社オリコミ(現株式会社オリコム)に入社し、その後博報堂へ転職。社内起業にてサービス業の現場で活用するアプリを開発するなどの経験を経て独立、2020年株式会社分室西村を設立。現在は、様々な企業の顧問として、広告宣伝や経営、事業成長に関する補佐・指導などを行っている。
広告業界に興味を持ったきっかけは、とあるデザイン事務所との出会い
―大学をご卒業後、一貫して広告の仕事をされていますが、学生の頃から広告の道に進もうと思っていらっしゃいましたか?
全く考えていませんでした。私の母校は、卒業生のほぼ全員が教員になる東京学芸大学なのですが、3年時に教育実習に行った際に「自分に向いていない」と思い、通常は数回行くはずの実習を一回でやめてしまいました。
他の皆が教育実習に行っている間、他にやることもなかったので、グラフィックデザイン事務所でアルバイトを始めました。それが広告と出会ったきっかけです。
―デザイン事務所でアルバイトを始めたきっかけは何でしょうか?
大学1年生の時に知り合ったデザイナーの勤めるデザイン事務所に遊びに行っていたのですが、3年生の頃にまたお世話になりたいと思い、事務所に行ったら「明日から来てよ」と言っていただき、そのデザイン事務所で働くことになりました。
―広告との出会いは、本当に偶然だったんですね。
そうです。事務所でのアルバイトを通して、「広告ってどんな仕事なのだろう」「コピーってどう書くのだろう」と興味を持つようになりました。
さらに、その社長が費用を全部出して、コピーライター講座に通わせてくれたりもして、そうやって経験や知識を積むうちに、仕事がどんどん面白くなっていき、就職もその事務所にしようと考えていたんです。
しかし、事務所のクライアントから、「一度は、広告代理店を受けてみた方がいい」と勧められました。そこでいくつかの企業に電話で問い合わせてみましたが、ほとんどの会社から「今年の募集はもう終わりました」と断られました。そんな中、応募可能だった株式会社オリコミ(現・株式会社オリコム)から内定をいただき、働くことになりました。
―広告のどういった点に魅力を感じられたのでしょうか。
自分が作った広告物が世に出ることが単純に嬉しかったし、小さい頃から人を驚かせることが好きだったので、これは快感を味わえる仕事だと感じましたね。
また、コピーライター講座では現役コピーライターが講師になっているのですが、どの方も生き生きと、楽しそうに仕事をしていました。こんな表情をさせる広告の仕事は魅力的だと思いました。
―オリコムに4年間勤務された後、博報堂に転職されたんですね。
はい、休日に日本経済新聞を読んでいたら博報堂の求人広告が目に入りました。元々入社したい会社でしたので、直感的に「俺へのメッセージだ」と感じて応募したところ、幸いにも内定をいただけました。
博報堂時代、社内起業を実現
―博報堂では社内起業もされていますね。どのような経緯で社内企業を実現されたのでしょうか?
私は40代半ばから12年間、博報堂の関西支社にいまして、当時担当していた仕事にやりがいを感じていました。それでも東京に戻りたかったのは、定年を東京で迎えようと思っていたからですね。定年後は独立という選択肢を検討していましたから、「関西で定年を迎えると仕事がないのでは」と心配でした。「東京に戻れば何かあるだろう」という軽い考えでしたけど、とにかく東京に戻りたいと思っていました。
ただ「東京に戻るのはいいけど、何をしようか」と心配になり始めて、社内起業を思いつきました。そこから社内起業の仕組みを調べて、チャレンジすることにしました。
―社内起業では、どんな事業をされたのですか?
株式会社Cueworks(キューワークス)という会社を設立し、サービス業の現場で活用するアプリを開発しました。イベントや大規模施設でのゲストコントロールなど、「現場管理の負担を減らしたい」「主体的に動けるスタッフを増やしたい」「チームの生産性を高めたい」など、現場のニーズに応えるチャットツールです。
ありがたいことに、アプリだけでなく、私の現場の改善力もクライアントから評価されました。私は若い頃からイベントの仕事をかなり担当してきたので、イベントの演出・進行管理などは得意分野です。
アプリそのものよりイベントを動かすこと自体がメイン業務になっていき、「イベントプロデューサーやディレクターで食べていけるな」という手応えも当時感じていました。
会社員時代のモットーは「やりたい仕事だけをやるが『やりたさ』は自分で作る」
―これまでお話いただいたように、オリコムや博報堂で様々な仕事を手がけてこられましたが、働く上で重視してきた価値観は何ですか?
昔も今も、「やりたい仕事だけやる」ということです。しかしこれはやりたくない仕事から逃げるという意味ではなく、やりたくない仕事の中に自分なりの面白さを見つけ、やりたい仕事に転換するということです。
例えば、上司やクライアントから言われたことだけをやるのではなく、「こうやった方が面白くないですか?」「こうやるともっと変わりますよね」など、自分なりに考えながらやるのが仕事の面白さだと思っています。
思えば昔から面倒なことや、他人が避けるようなことも率先してやっていましたね。例えば、学校のトイレ掃除は汚いし面倒なので、普通は皆が嫌がる作業ですが、私はきれいにすることが面白かったので、誰よりも張り切ってやっていました。面倒、困難だと避けられがちなことをあえてやることに快感を覚える性格だと思います。
―仕事に面白さを見つけられず、鬱々としている人も少なくありません。どうしたら仕事が面白くなるのでしょうか。
大切なのは人に言われる前にやることです。他人から命令されたら、ほとんどのことは嫌になってしまいますから。
例えば過去にイベントの仕事もやっていましたが、必ずスタッフの集合時間の1時間前に到着して、ずっと現場を観察していました。そこから人員配置を考えて、全体を動かすことがすごく面白かったんです。
率先して着ぐるみを着用することもやっていましたね。部長や局長代理だった頃までそんなことをやっていたので、周りには「西村さんにそんなことをされると、いい迷惑だから止めてくれ」と嫌がられていました(笑)
「いいんだ、好きでやってるんだよ」と着ぐるみに入り、地方の電気屋さんの前でチラシを配ったり、「お願いします」と声を出したり、そうすると反応がよくて、そういうのがとても面白かったんです。
要は、やりたい仕事だけやる、でもその「やりたさ」は自分で作らなければダメだということです。つまらないことでも、結構面白くなるものですよ。
独立を見据えて社内起業時に意識していたのは、会社の看板を外してどこまで通用するか
―社内起業として株式会社キューワークス設立後、ビジネス開発局シニアプロデューサーを経て独立されましたが、独立を意識し始めたのはいつ頃ですか?
50代に入った頃には独立を考えていました。会社では楽しく仕事ができていたものの、60歳以降はどうしようかと気になっていましたから。
―再雇用という選択肢はなかったのでしょうか。
子どももまだ小さく、再雇用の給与では家族を養えないので、60歳以降は転職するか、独立するかだと考えていました。しかし、十分な貯金もなく、仕事が来なかったらどうしようかと不安に感じており、実行に移す勇気がありませんでした。「だったら貯金しろ」という話なんですけど。
―独立を決意されてから、どんな準備をしたのか教えてください。
実は社内起業をした時に「会社の看板を外して、自分の名前でどこまで通用するか」を確認するための実験をしました。いわば、独立の疑似体験みたいなものですね。株式会社キューワークスという、どこにも博報堂の名前が入っていない社名をつけ、名刺にも一切入れませんでした。要は、誰も聞いたことがない、西村康朗という一個人が代表の会社です。
博報堂に属していると、いろんな制作会社の方が来て、「西村さん、退職したらうちに来て顧問をやってくださいよ」と言ってくれます。しかし「その言葉を真に受けてはいけない」、「それは私の後ろにある博報堂の看板に言っているんだ」と、ずっと自分に言い聞かせていました。
―実際そのような実験をやってみて、いかがでしたか。
全く相手にされませんでした。「こんなアプリがあるんですけど」とテレアポをしても全く相手にされないんです。「やっぱりな、こういうもんだよな」と実感しました。実験してみて良かったと思いますよ。
―独立される際に、直面された困難はありましたか?
独立を決めた時点では、博報堂時代の知人から「一緒にやってほしい」と声がかかっていたイベントがいくつかあったので、イベントプロデュースの仕事でやっていけそうだなと思っていました。
しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、様々なイベントが中止になり、当然ですが「一緒にイベントの仕事をやろう」と話していた人たちも、私に仕事を依頼することができなくなりました。やるはずだった仕事がなくなってしまい、「最悪、退職金で食いつなぐか」と覚悟しましたが、「最悪な状況から何とかできれば、相当自信が持てる」と思ったので、最悪の時に辞めてみることこそがいいと考え、そのまま独立しました。
―大きな決断をされたのですね。
私にとってお金が入ってこない以上につらいのは、やることがないという状態だと、この時に初めて気づきました。やるはずだった仕事もなくなり、退職直後は何日もボーッとしていたのですが、ある日、知人から「すぐお金になる話じゃないんだけど、こういう仕事を手伝わないか」と連絡をいただいたんです。
それはコンサルの原型のような仕事で、結果的にお金にはなりませんでしたが、声をかけてもらえて本当に嬉しかったです。
好きな人と仕事をすることが、やりたい案件への近道
―そこから2020年に「株式会社分室西村」を設立されていますが、事業内容について教えてください。
様々な企業の顧問として、広告宣伝や経営、事業成長に関する補佐・指導などを行っています。
顧問先によっていろんな仕事がありまして、「外付け宣伝部長」として動画制作やコピーライティングもやりますし、広告制作会社のクリエイティブディレクター的な役割も担います。またマーケティングやクリエイティブの講座の講師もやっています。
―「分室西村」というのは、面白い社名ですね。
顧問としてクライアントとの距離感を保ちながら、いろんな企業の分室としての機能を持ちたいと考えて付けました。だから、スモールでモバイルでなければならない。会社を大きくしようとは思っていません。多くの企業が縦割りのピラミッド構造になっている中で、分室として横軸で動きたいという思いも込めています。
―独立後、顧客獲得ができるようになったのはいつからですか?
顧客が獲得できない全くの空白期間は1ヶ月程度ですね。最初の1件は、博報堂時代の知り合いからいただいた案件でした。その方とはちょっとした行き違いから疎遠になっていたのですが、共通の知人を通してお付き合いが復活したんです。
この一件をいただいてからは、順調に顧客数が伸びていきました。厳密に言えば、空白期間にもいくつかお声はかけていただいていたのですが、「月50万円で、常勤型の専属コンサルになってくれないか」とか、「こうすると儲かると思うんだけど」とお金が前面に出た話が多くて、どうもやる気になれなかったんです。
常勤型で月50万円だと会社員と変わらなくて独立した意味がないし、とにかく儲かればいいというような、お金だけが目的の仕事もちょっと嫌なんですよね。やるからには人のため、社会のためになる仕事をしたいのです。
周囲から「西村は甘い」と言われますが、私は、ちゃんといい仕事をしていればお金は後からついてくるものだと思っているので。
―独立後、西村さんが大切にしていることは何でしょうか。
好きな人と仕事をすることですね。前述した、お付き合いが復活した博報堂時代の知り合いも、大好きです。その方から新しいクライアントをご紹介いただくこともあるのですが、好きな方からの紹介ということで、いいお仕事ができます。
―なるほど、好きな人と仕事をしていると、そのつながりがまた、いい仕事を連れてきてくれるんですね。
そうです。人のつながりと言えば、顧客獲得について新たな気づきをくれた方もいます。その方はとにかく人脈が豊富で、数十社と顧問契約を結んでいます。
「めちゃくちゃ大変ですね?」と質問したら、「全て月1回、1時間という契約だから、全然大変ではない。そもそも自分ができる範囲の数しか契約していない」という答えでした。
彼の話を自分に置き換えてみて、数十社は無理としても、数をたくさん持てばいろんな人と話ができるし、仕事も絶対に面白くなると思いました。
―その気づきを得るまでは、どんなお考えを持っておられたのでしょうか。
以前は月50万円×3社で収入を安定させることを考えていましたが、彼の話を聞き、単価を低くして顧客数を増やすやり方に切り替えました。そのやり方だと、入ってくるお金以上に、多数の顧客を通して知識やトレンドを得られるというメリットもありますしね。
私は2023年7月現在、10社のお仕事を受けていますが、まだ数を増やせると思っています。1つのクライアントにあたり月3~5時間ほどの時間で顧問をしていますが、まだまだ余裕があります。平均すると週休3日で生活していますし、夜中まで仕事をすることもありません。
―お話いただける範囲で結構ですが、会社員時代と独立後で、収入にどれくらいの差がありますか?
細かい部分まではわかりませんが、大体同じぐらいです。ただし貯金は増えていないので、豊かにはなっていません(笑)
―忙しさについてはいかがですか?かなり差がありますか?
結構差がありますね。博報堂時代に比べ、業務は圧倒的に増えているにも関わらず、現在、週休3日で働けています。管理職の雑務もありましたから。
会社を辞めて初めて「本来やりたいこと以外もたくさんやっていたんだ」と気づきました。それに気づいてしまったので、今のところ、サラリーマンに戻るという選択はないです。
―独立前に比べ、大きく変わった点はありますか。
世の中で起きていることは全て、自分の仕事につながると思うようになりました。例えば交通事故があったとして、「なぜこの交通事故は起きたのだろう」と原因を追究することによって、私が担当している顧問先で起きている課題とも関連づくのではないかなど、深く考えるようになりました。
その分、世の中で起きていることを見ているだけでも、すごく面白いです。問題解決という視点で出来事を見るようになると、物事のほぼ全てが面白くなりますね。
独立後、不安は常にあるが打ち消すためには行動あるのみ
―今後、お仕事の面でどんな展望をお持ちでしょうか。
私は従業員を雇って事業を大きくするつもりは全くないので、現状維持できればそれでいいと思っています。でも実際のところ、新しい事業や提案、営業活動を常に続けていかなければ、現状維持なんてとてもできません。
幸い私は打ち切りになった仕事はないのですが、一般的には、顧問契約は半年~年間契約なので、不安はあります。仕事がなくなる時はいきなり、しかも簡単に「もう来月からいいですよ」と言われるでしょうし……。
その不安を打ち消すには行動しかありません。会社員時代に比べ、時間もやりたいことも山ほどあるので、自分の能力が発揮できる場があればもっと増やしたいと考えています。
―今後は、どんなクライアントを支援していきたいですか?
いい人と出会いたいです。後は、お金ではなく人のためになったり、面白かったりする仕事をしたいので、お金が先に立つ仕事は嫌だなと思っています。
例えば音楽でも、昔はアーティストが作りたいものを作っていたのに、今は売れそうな音楽ばかり作っていてつまらないですよね。私は、売れるか売れないかで作る物を決めるよりも、「こういうものを作りたい」と思っている人たちを応援していきたいです。
規模にも業種にもこだわっていませんが、そこで働いている方が自分たちの幸せを追求している。そんな会社を支援したいです。
例え話になりますが、先程もお話した、いったん疎遠になった後にお付き合いが復活した社長からこんなお話を聞きました。「社員一人ひとりが幸せになれる会社を作りたい。ビジネスだから売上は無視できないが、まず社員が幸せであることが何より大事なんじゃないかと思う」と。
実は私も全く同感で、「会社は人を幸せにするための組織」だと思っています。そんな風に考えている方とお仕事していきたいですね。
最近、私は業務内容を聞かれた時に、あえて「ブランディングの仕事をやっています」と言います。マーケティングは金儲けのため、ブランディングは人の幸せのためにあるものと考えています。ですから、会社が社員の幸せを重視していない会社に、ブランディングはできないのです。
―50代・60代の、キャリアに悩んでいる方に向けてメッセージをお願いします。
私は好きな人としか仕事をしない、やりたい仕事しかしないと決めていますが、そういう仕事は自分で作らないと仕方ないです。待っていても絶対に、空から降ってこないです。作るしかないし、どうやったらもっと楽しくなるんだろうと考えて仕事をすることが、もう既に楽しいですね。
ただ、やりたい仕事の作り方をネットで調べても、教えてくれないので、自分の足で歩いて、人に会って探すことが重要だと思っています。