人生100年時代と言われる今日、定年後の人生設計はますます重要になっています。定年退職や再雇用、転職、独立などさまざまな選択肢があり、「人生の再設計」が求められています。
35年働いてきた大手電気メーカーを60歳で定年退職したHさんは、自由な時間を手に入れたものの、「物足りなさ」を感じたと言います。Hさんの経験から、定年後の生活を充実させるための方法を伺います。
大手電気メーカーにて35年間勤務し、2021年3月、60歳で定年退職を決意する。同年の10月からスーパーのパートタイム店員として、商品の品出しや発注業務を行っている。
60歳で定年退職を決意した理由とは
ーこれまでのご経歴を教えていただけますでしょうか。
地元の大学を卒業して、新卒から2年間は外資系企業で働いていました。25歳の頃に大手電機メーカーに転職し、それから35年間、同じ会社で勤務していました。
定年退職したのは2021年の3月、60歳のときです。退職してから半年間は、働かずにゆっくりしていたのですが、定年退職して半年後には午前中のみスーパーでパート勤務するようになりました。午前中働いて、午後や休日は気ままに過ごすという生活を始めて、3年になります。
ー定年退職以外に、再雇用や転職などは考えなかったのでしょうか
定年退職する前から、さまざまな選択肢を考えていました。前職では、希望すれば65歳まで働くこともできました。収入は減りますが、同じ会社で慣れている仕事を続けるのも、楽で良いかなと思ったこともあります。
しかし、結局再雇用は見送りました。以前の部下が主力として働いている状況で、以前と同じような熱意では働けないだろうと思ったからです。
転職についても、会社が転職先を紹介してくれて、面接まで進んだこともあります。ただ、9時から17時のようなフルタイム勤務ばかりだったのがネックでした。まだ元気で気力があるうちは、働くのも嫌ではありません。しかし、定年を過ぎてまでフルタイムで働きたくなかったというのが当時の本音です。
会社員時代は時間的な制約が多い生活でした。「自分の時間を自由に使いたい」という感覚を味わいたくて、定年退職することにしたんです。
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ー定年退職したあとの生活について、不安はなかったですか。
正直、不安はありませんでした。むしろ「やっと思い描いていた生活ができる」というポジティブな気持ちのほうが強かったですね。会社員のときとはまったく違う未体験ゾーンに入っていく感じがして、ワクワクしていました。
新卒入社から35年間、平日はオフィスに通う毎日でした。子どもができてからは、週末も家族と過ごす時間で忙しくしていました。そういったルーティンから解放され、自分のためだけに時間を使う生活に憧れていたんです。年老いて体が動かなくなってから「ああすればよかった」と後悔したくありませんでした。
ー定年退職したあとは、どのように過ごす予定でしたか。
旅行が好きなので、遠方に出かけてゆっくり過ごそうと思っていました。会社員時代は、長期休暇を取るのは難しく、趣味の旅行も思うようにはできませんでしたから。定年退職して時間ができたら、車中泊でもしながらのんびり目的地までドライブして、温泉や景色を楽しむのも良いな、と。
日常的なことで言えば、好きな本を読んだり、関心のあることを調べたりするのも楽しみでしたね。歴史や政治経済に関心があるので、図書館に通って、本をじっくり読んでみようと思っていました。こういったことも、時間や気持ちに余裕がなかったときは、ついつい後回しになっていました。
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自由な生活を手に入れても「どこか物足りない」
ー定年退職後、完全に自由な時間を手に入れて、どう感じましたか
最初はすごく充実していると感じました。図書館で26巻もある小説『徳川家康』(山岡荘八・著)や、政治経済に関する本も読みました。世界のドキュメンタリー映像を視聴しながら、「こんなにも知らないことがあったんだ」と、好奇心が満たされていく感じがしました。
ただ数ヶ月もすると、そういった生活にも飽きてきました。時間を持て余すようになってきたんです。ずっと仕事ばかりしてきたからかもしれませんが、「ずっと家にいるのは抵抗がある」と思い始めました。行く場所やするべき仕事がないと、生活にもメリハリがなくなります。だんだん、日々の生活に物足りなさを感じるようになっていったんです。
ー定年退職して6ヶ月後に、スーパーでパート勤務をされていますが、もう一度「働こう」と思ったきっかけは何ですか。
退職した年の秋に、1か月間ほど車で北海道を回ったのがきっかけです。そのときに、完全に自由でいるということは、常に能動的に行動しなければならないことだとわかったんです。
そのときは、北海道から関東の自宅まで車で帰りました。朝日が昇ったら車で移動して、お昼前に温泉に入って、夕食を食べる。翌日、朝日が昇ったらまた移動して……。ずっと同じことの繰り返しでした。楽しかったですが、何かすることを探し続ける状況にどっと疲れてしまったんです。
北海道から帰って1年間は、車で旅行する気にもなれないほどでした。社会人だったときの習慣で、計画し過ぎてしまったのが原因だろうと思います。もっとゆっくり、気ままに過ごせば良かったんですけれど。
この旅行がきっかけで、すべての時間が自由になるよりも、少しだけ働いて1週間が回っていくほうが楽かもしれないと思い始めました。そんなときにスーパーのパート募集が目に留まりました。午前中だけの勤務で、私の求める生活スタイルにぴったりだと思い、応募しました。
働くことで生活にメリハリがついた
ーパート勤務を始めて、生活はどのように変わりましたか。
勤務時間が決まっているので、メリハリのある生活が送れるようになりました。それに、体を動かす仕事なので、運動不足も解消されました。以前より、体調が良くなったと感じています。
拘束時間は増えましたが、朝9時から12時の間だけです。午後は図書館で本を読んだり、ジムで体を動かしたりしています。理想的なワークライフバランスを実現できていると感じます。
また、仕事中はさまざまな人とコミュニケーションを取ります。定年退職した直後は、妻が唯一の話し相手でした。仕事を始めてからは、幅広い年齢層の同僚やお客さんと話せるので、すごく刺激になるんです。仕事がスムーズに進むよう同僚に気づかいをしたり、お客さんにわかりやすく商品の説明をしたり。短い時間でも社会との関わりを感じられて、充実した生活を送れています。
ー大手電気メーカーで管理職として働かれていたわけですが、パート勤務で働くことに抵抗はありませんでしたか。
特に抵抗はありませんでした。面接のときに店長が私の履歴書を見て、「時給は安いし、単純労働ですが大丈夫ですか」と心配されましたが、むしろ、自分に向いている仕事だと思いました。もともと、時間内に仕事が完結するような仕事をしたかったんです。
時給が高くないことも、問題とは感じませんでした。日々の生活費は、年金や貯金があるので困りません。パートの収入はお小遣いだと思って、自分の楽しみのために気兼ねなく使えます。業務内容についても単純労働とはいえ、効率よく仕事を回すには、段取りも重要です。会社員時代に培ったスキルで、段取りを立てたりルーティンを作るのは得意なんです。きっと、仕事に貢献できるだろうと思いました。
ー仕事のやりがいがあれば、教えてください。
パート勤務先の上司は、私の子どもほどの年齢です。いくら会社員で管理職をしていたからといっても、実務的なことは1から教えてもらわないと何もできません。それでも、年齢を重ねて経験豊富だからこそ、若い人たちに示せるものがあると思うんです。
例えば私のようなシニアの良いところは、ちょっとやそっとのことでは動じないところです。常に機嫌よく働き続けられます。忙しくても涼しい顔をして作業できますし、お客様のクレームにも落ち着いて対応できます。会社員時代に色々なことを経験してきたからこそできることです。
社会に出ると、色々な出来事が起こって予測不能じゃないですか。想定外の状況になったとき、不機嫌になったりパニックになっても良い結果にはなりません。我々のように先を生きるものが、お手本となる態度を示すことで、自然に次の世代につながるんじゃないかと思うんです。
私だからこそできるやり方で、パート仲間たちに協力していきたいですね。「Hさんがいると、助かる」と思ってもらいたい。それが一番のモチベーションで働いています。
定年退職後の生活を充実させるのは「楽しむこと」
ー定年退職後の生活をより充実させるために、どういったことが大事だと思われますか。
「今を楽しむこと」と「趣味・関心を持つこと」だと思います。
私も、定年したばかりのころは時間を持て余していましたが、3年経ってようやく、ゆったりした時間を楽しめるようになりました。車で旅行に行って、日の出とともに温かいものを飲みながら、ぼーっとするとか。
最近では、車の中に寝袋や最低限の必要なものを入れっぱなしにしています。お天気さえよければ、行きたい場所にすぐに出かけられます。
家でも、旅行チラシを見ながら、旅行地までのルートを地図帳で調べたり、良い温泉はないかインターネットで検索したりします。そういった時間が楽しいですね。
ーやりたいことをやるためには、お金がかかると思います。老後の資金についてはどのように考えていますか。
老後の資金については、心配すればキリがありません。あくまで私の考えですが、生活費のベースが確保できているなら、それ以上のお金は消費に回しても良いんじゃないかな、と考えています。
何をするにもお金は必要ですが、逆に言うと、お金で解決できることならやっておきたい。以前、「日本銀行では古い紙幣が、何兆円と燃やされている」という内容のコラムを読んだことがあります。そのとき、「お金そのものに価値は無いんだ」と改めて思いました。
日本の年間の相続資産額は平均37兆円にも上ると言われています。しかし、死ぬときが一番お金持ちになっても仕方がありません。そのお金がもっと消費に回れば、日本の経済のためにもなりますし、自分の人生の豊かさにも繋がるんじゃないかと。
老後についてはあまり心配しすぎず、自分の楽しみのためにお金を使っていきたいですね。
ー今を楽しむためのコツはありますか。
生活にリズムを持たせるのが、今を楽しむためのコツだと考えています。
生活にメリハリがないと、楽しいはずの時間もただの日常になってしまいます。私の場合は、午前中のみ働くことを選びましたが、必ずしも働く必要があるとは思いません。
朝の散歩やボランティア活動でも良いし、図書館やカフェで読書や勉強をするのも良い。1日の決まった時間に、習慣やルーティンを設けるのがおすすめです。
ー定年退職したあとに、避けるべきことはありますか。
気を使う相手がいないと、ついつい何事も自分のペースで進めてしまいがちです。そんなときに気をつけたいのは、自己中心的にならないことです。先ほど、「趣味・関心を持つこと」が大切と言いましたが、関心ごとが自分中心にならないようにしたいですね。
今、妻とふたりで暮らしているのですが、この歳になって、家庭の大切さが分かりました。会社員時代、家庭に無関心だったわけではありませんが、仕事に重きを置いていた気がします。今、ようやく時間の余裕ができて、支えてくれた家族に関心を向けるときだと思っています。
社会問題として、定年後にパートナーから別れを告げられる、「熟年離婚」も多いと聞きます。家庭に関心を持って、家族との時間を大切にすれば、そういった事態も避けられるのではないでしょうか。
さらに言うと、身内だけでなく、世の中についても関心を持っていたいですね。実は、会社員だったときは、関心を持つことの重要さが分かっていませんでした。「社会的弱者に関心を持つことが大切だ」と言われても、ピンと来なかった。「募金活動なんかするより、しっかり稼いで、そのお金を寄付するほうが意味があるだろう」と、思っていたんです。
しかし今は、関心を持つことの大切さがわかりました。社会問題に関心を持って話題にすれば、助けを求めている人たちを励ますことにもなります。関心の輪を広げることで、救済力を高められるかもしれません。
定年退職して自由な時間を手に入れたわけですから、自分のために楽しむことも大切です。しかし、行動や考えが自分勝手になり過ぎていないか、いつも気をつけていたいですね。
定年退職は、凝り固まった考えを手放すきっかけになる
ーこれから定年退職を迎える方に向けて、メッセージをいただけますでしょうか。
一言でいうと、定年退職は「フリーハンド」。これまで培ってきた考え方や価値観を、一旦手放すときだと考えています。60年も生きていると、自分なりの考え方に縛られているものです。それは当然のことなのですが、定年退職を機に、自分の価値観にすべてを当てはめるのを止めてみてはどうでしょうか。
「こういうものはダメだ」「こういうものが良いんだ」「こんなものは出来ない」といった、凝り固まった考えを捨てて、価値観をリセットしてみる。360度、世の中の全てに両手を広げてみると、もう一度、新鮮な気持ちで人生をスタートできます。
定年を迎えれば、現役時代のような重い責任もありません。時間的にも精神的にも余裕があるからこその、我々の特権だと思います。定年退職する方は、人生の先輩として、若者のお手本になって欲しいと思います。小さなことかもしれませんが、我々シニアが柔軟で包容力のある姿を見せることで、世の中が良い方向へ進んでいくはずだと思うのです。
まとめ
今回は、大手電気メーカーを定年退職後、現在はスーパーでパート勤務しているHさんのエピソードを紹介しました。
Hさんの事例からも分かるように、定年退職後に自由な時間を手に入れても、時間を持て余し、「物足りない」と感じてしまうこともあるでしょう。そうならないためにも、定年後の理想的なワークライフバランスをしっかり想定し、キャリアを選択していく必要があります。
以下では、定年退職後のキャリアについてまとめています。定年後のキャリアについて迷っている方は、ぜひ参考にしてください。