「情報発信」と「コミュニティ」は独立後も重要

「独立に関わる不安は払拭できるのだろうか」と、独立前にさまざまな不安を感じて踏み切れない方も多くいらっしゃるかと思います。

今回は博報堂でキャリアをスタートし、30年以上にわたり50社以上のクライアントと100を超える商品・ブランドの戦略プランニングに携わり、現在は組織活性化コンサルタントとして活躍する永田弘道さんを取材。  

独立後、不安を払拭する方法や属するコミュニティの選び方などについて話していただきました。 

永田弘道

一橋大学経済学部卒業、株式会社博報堂DYホールディングスに入社、ストラテジックプランニングを担当。バブル崩壊を機に提案スタイルを「競合プレゼン」から「ファシリテーション」へとシフトし、独立後の事業の土台となる。現在は組織活性化コンサルタントとして創業50、100年と事業を長く続ける企業を支援。

ゼミの先輩の話をきっかけに、広告業界でのキャリアをスタートさせる  

―長年、広告のお仕事をされていますが、なぜ広告業界を選ばれたのでしょうか?  

大学では気楽に学生生活を楽しんでいましたが、就職活動を前に「これからどうしようか」と考え始めました。私が就職活動を始めた1986年は前年が円高不況だったものの、母校の一橋大学が企業から人気だったこともあり、内定をたくさんもらえる状況でした。  

―多くの内定先の中から、最終的に博報堂を選んだ理由は?  

就職活動を始めてから博報堂を知ったのですが、博報堂に入社したゼミの先輩から仕事の話を聞いたことがきっかけでした。先輩から話を聞いていると、様々な業界と携われる仕事は飽き性な自分に合っているんじゃないかと感じて、博報堂への興味がより強くなっていきました。  

そこから博報堂について調べ始め、面接を受けることに。簡単には内定をもらえない会社ですが、運よく通って嬉しかったのを覚えています。  

刺激的で面白い広告の仕事に没頭する日々  

―実際に働いてみて、広告業界でのお仕事はいかがでしたでしょうか?  

多種多様なスタッフたちと共に取り組む仕事は、本当に刺激的で面白かったですね。例えば制作はCMプランナー、コピーライター、グラフィックデザイナーなどのクリエイターが担当します。  

またプロデューサーのような役割を担う営業職もいます。営業はクライアントの代弁者として、クリエイターやマーケターに対し、クライアントのニーズやビジョンを伝えてくれます。またクライアントのニーズを実現するため、メンバーを選出し、価値を提供していくのも営業の仕事です。我々はそれに基づいてプランニングを進めるわけです。 

私が担当していたのは「どんな広告を制作するか」のアイデアを出す「ストラテジックプランニング」という職種。いわゆるマーケティング職ですね。  

―ストラテジックプランニング職の面白さについて教えてください  

この仕事の面白さの一つは「コンセプトワーク」です。どういうコンセプトでクライアントのブランドや商品サービスを世の中に打ち出していくべきかという、いわば戦略部分ですね。そこを考えるにあたって、チームで侃侃諤諤の議論があったりするわけです。毎日、熱中してやっているうちに、気がつくと広告の仕事を30年ほどやっていました。  

バブル崩壊後の不況が、クライアントへの提案スタイルを変えるきっかけに  

―博報堂は世の中に大きな影響を与えるスケールの大きい仕事が中心ですが、仕事において大切にされていた価値観はありますか?  

バブル崩壊をきっかけに、それまでの「競合プレゼンに多くの予算を使って、効率を考えず作っていこう」という価値観から、クライアントの目指す方向性やニーズをより深く考える価値観へと変わっていきました。  

競合プレゼンは、バブル期まではよくやられた仕事のやり方で、例えば超大手の自動車メーカーが新車を出す際に、「年間キャンペーン20億円の予算で、メディア戦略を考えてください」と、複数の広告代理店にプレゼンを依頼します。20億円の大型案件だと、プレゼンを作るために1,000万円をかけることも珍しくありません。受注できなければ当然、赤字になってしまうのですが、当時はそれが普通でした。  

―経済の低迷や景気の横ばいが続いている現在から見ると、信じられないスケールですね。  

当時はそういう競合プレゼンを前に、やる気に火が付く社員がたくさんいました。終電を逃すまで仕事をして連日タクシーで帰ったり、会社に泊まり込んだり。まるで毎日が学園祭の準備のようでしたね。  

しかし、景気が冷えていくにつれ、競合プレゼンのやり方に対して疑問を感じるようになりました。  

―競合プレゼンのどういった点に疑問を感じるようになったのでしょうか??  

語弊がある表現かもしれませんが、景気が伸びている時はクライアント側も代理店側も、「根拠や理論にこだわらなくても、商品を出せば売れるから」という感覚をある程度は持っていたと思います。そのため、クライアントの課題についてそこまで深く考える必要がありませんでした。  

ところが景気が悪化してくると、「どうして売れないのかわからない」という状況になり、クライアントは自社の課題が明確になっていない状態で広告代理店にプレゼンを依頼したりすることが起きます。 

そのような状態ではクライアント、広告代理店双方にとって効率が悪く、良い結果に結びつきません。なので、競合プレゼンから「ビジネスワークショップ型」の提案にシフトすることを考えました。  

―ビジネスワークショップとは、具体的にどういうものでしょうか?  

ワークショップ形式で、クライアントや代理店、上司や部下などの上下関係をフラットにして、全ての関係者で課題についてディスカッションする場です。現在では王道の方法ですが、私が提唱した時期はまだ珍しかったですね。  

クライアントを巻き込んだワークショップの場で、課題解決の方法を一緒に考えていくと、「当社について一番理解しているのは博報堂さんだから、このままお願いしよう」という話になるわけです。こういう仕事のやり方を「プレゼンテーションからファシリテーションへ」と表現しています。  

ワークスタイルの転換が、独立後に提供する価値の土台に

―「プレゼンテーションからファシリテーションへ」、非常に斬新な表現ですが、もう少し詳しくおうかがいできますか。  

プレゼンテーションは基本的に、広告会社側がベストだと思うプランを提案します。それに対して、ファシリテーションは「クライアントの中に答えがある」という前提で話を進めます。  

つまり、クライアントを交えてブレーンストーミングを行い、一緒に答えを見つけ出していくという考え方をします。これのやり方が進化すると、インナーブランディングに行き着くんです。  

―どのようにインナーブランディングにつながるのでしょうか?  

過去のビジネスシーンで常識とされていた上意下達ではなく、全関係者の立場をフラットにしてみんなで考えるというやり方は、全員の間に一体感が生まれるため、インナーブランディングと非常に相性がいいんです。その中でも私の役割は、ファシリテーターとして経営層が考えているミッションを言語化したり、全員のモチベーションを上げる方法を考えたりすることです。これは独立した現在も、中小企業の顧問コンサルタント業務として続いています。  

再雇用よりも独立を選択。不安を払拭するためには行動あるのみ  

―会社員時代から現在までの道筋がきれいに通っている印象ですが、独立はいつから考えられていましたか?  

55歳を過ぎたあたりから考え始めました。それくらいの年齢になると、60歳で定年退職か定年再雇用かを選択させられるんですね。定年再雇用の場合は、給与は1/3~1/4になるのを甘受すれば65歳まで働けるのですが、私は再雇用を選びませんでした。  

65歳まで会社にいられても、その後どうするんだと考えたんですよね。退職後に楽隠居をするつもりもなく、60歳手前で独立し、次のビジネスを自分で作っていくことを考えていました。結局、60歳で定年を迎える少し手前、58歳くらいで卒業し、現在で約2年が経ちました。  

―独立前にどのような準備をされていましたか?  

独立前からYouTubeを始めました。独立後に顧客を見つけるためにもSNSの発信が欠かせないだろうと考えたからです。また独立の2、3ヶ月前からは友人や知人に「独立するので仕事があれば紹介して」と営業活動をするなど、とにかく情報発信することを意識していました。  

―独立される際に不安とか葛藤などはありましたか?  

もちろんありますよ。今も不安に感じることはあります。給料が毎月振り込まれることはないので、極端にいえばその日暮らしですから。  

でも不安だからこそ動くんです。「不安だ、不安だ」なんてぐるぐる考えても何も解決しないので、人に会ったりSNSで発信したり、仕事に関係するセミナーを受けに行ったりして、とにかく動いていますね。  

―どういった行動をされているのか教えてください  

例えばSNSマーケティングのコーチに指導してもらうなど、いわゆる自己投資です。大切なのは学んで終わりにせず、とにかく学んだことを行動に移していくことです。  

独立した以上、不安や葛藤が完全に払拭できることは絶対ありません。それらを少しでも軽減するには学んで行動すること。もちろん常にいい結果が出るとは限りませんが、それでも学びと行動を毎日、とにかく繰り返しています。  

―独立後、新規顧客の獲得は順調でしたか?  

最初から一気にクライアントが増えたわけではなく、少しずつ増やしていきました。独立から2年経った現在、まだ3社ですからね。本当は10社ぐらいのクライアントとお仕事をする状態まで持っていきたいのですが、まだまだ目標には全然達していないという状況です。  

―顧客獲得の方法について、お話をお願いします  

1社は博報堂時代からお手伝いしていたクライアントで、他の2社は独立後、受講したセミナーや参加したオンラインコミュニティなどで繋がった方からお仕事をいただきました。現状は人とのご縁が仕事につながっていますが、今後はSNSを使って情報発信し、見込み客に対してセミナーや個別の相談会を開催して、新規顧客を獲得する方法を考えています。それが今後の課題です。  

―会社員時代と現在の収入については、差がありますか?  

1年目は会社員時代の年収とほぼ同じで、2年目はおそらく70~80%ほどになるのではないかと思います。初年度は紹介業のようなお仕事が2、3件ありましたが、今年はやっておらず、完全にコンサルタント業務のみの収入になるので、少し減るかなという感じですね。  

今後、インナーブランディングメソッドで100年続く企業をサポートしたい

―今後、どのような企業を支援したいと考えていますか?  

今後フォーカスしたいのは、50年、100年というスパンで頑張っている企業への支援です。例えば3、4代目の社長さんが会社を継承し、革新を起こして生き残っていくお手伝いをしたいと考えています。  

2022年時点で、創業100年を超える企業は世界で7万4000社ありますが、そのうちの約半分、3万7000社を日本が占めており、ダントツで日本が多いんです。日本企業は「続けること」に高い価値を置いており、そのような企業を支援したいですね。  

もちろん新しく会社を創業し、効率的に成長させて5年経ったあたりでIPOやバイアウトをするという、一攫千金みたいなやり方もあります。しかし10年、20年と続いてきた会社は、社員や取引先、さらにその会社がある地域の人たちに対し、非常に大きな責任がある。だからこそ続けていかなければならないと思うんです。  

―長く存続しているということは、多くの人に強く必要とされているわけですからね  

特に中小企業は日本の各地域の食文化やもの作り、あるいは自然環境などを守って、次の世代へと繋いでいくという大きな役割を負っているわけじゃないですか。私はそういう会社をお手伝いして、次の50年100年に向け続けていく道のりを応援できたらいいなと。それが現在、自分がビジネスをやるミッションだと思っています。  

―長寿を目指す企業について、最も魅力を感じる点はどこですか?  

そういう企業は、総じて社員を大切にしています。そこが魅力ですね。人を大切にする企業の社員は、仕事にやりがいを感じ、会社に貢献したいと考えられます。さらに自分たちの会社は社会に対してどう役立てるかを、自分ごととして考えられる。それこそが、長く必要とされる会社に欠かせない要素なんですね。  

独立を検討している方は、どのコミュニティに所属するかを考えよう  

―今後のキャリアについて悩んでいる50代、60代の方に向け、メッセージをお願いします  

これからの時代、どのコミュニティに属するのかが非常に重要になってくると思います。会社員であれば、会社というコミュニティに属していればOKですが、会社は卒業した瞬間から何もしてくれませんからね。  

私の場合、鴨頭嘉人さんが主宰する会員制ビジネスオンラインサロン「鴨Biz」に属していますが、これはすごく大切なコミュニティです。それからBeyond Ageの市原さんが開催する「顧問サロン」というコミュニティにも属しています。  

このように、まず自分のやりたいことが学べたり、切磋琢磨できる仲間がいたりするコミュニティを見つけて所属してください。そして、そのコミュニティにおいて自分の役割を果たし、メンバーに認知されるというか、欠かせない存在になっていくにはどうしたらいいかを考えていきましょう。  

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